1990年代にスーパーフライ級で活躍した鬼塚勝也というボクサーがいました。動画を見ても、かなりスピードもあり今のスーパーフライ級とバンタム級では鬼塚に勝てる日本人ボクサーはいないでしょう。

しかし、この鬼塚というボクサーは疑惑の王者と言われ当時あまり高い評価を受けていなかったように思えます。世界戦までは18戦全勝16KOだったのですが、世界戦では6勝1敗1KOでした。世界戦までは日本人相手にKOの山を築くのですが、世界戦では日本人の松村からしかKO(TKO)できなかったのです。加えて、その6勝のうち、タノムサクとの2試合、林材新戦、李承久戦(李はその後川島に判定負け、ペニャロサにKO負け)は実質負けていたので、疑惑の王者と言われてました。

鬼塚へけちがつきはじめたのは、タノムサクとの王者決定戦が発端でしょう。タノムサクは明らかに2.3.4.5.6.7ラウンドとダメージを与え(8ラウンドもとってます)後半流しにかかりました。流しにかかったので手数がへり、逆に9.10.11ラウンドは鬼塚がとりましたが、明らかに鬼塚の判定負けの試合でした。試合後には、ガッツ石松がおかしな判定だと言っていただけでなく、各新聞社がこぞって「疑惑の判定」「造られたチャンピオン」等書き立てられました。王者決定戦の試合だけに関して言えば、山中対モレノの判定のほうがひどかったように思えるが、鬼塚はこの後、タノムサク戦・林戦・李戦とおかしな判定が続いたものですから、結構叩かれたようですね。

また、鬼塚の所属していたジムが協栄ジムでオレンジ毒入り事件があったので、わをかけて鬼塚が胡散臭く思われたのでしょうね。ちなみに、協栄ジムはその後亀田家と関わっていきますね。

疑惑の判定は今に始まったことではなく、1990年代には既にあったのです。また、日本人相手では滅法強いボクサーでも世界では通用しないケースも1990年代からあったのです。改めて言いますが、今に始まったことではないのです。

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