前回は弱い日本人相手の戦績はあまり関係ないと書きましたが、あまり日本人と試合をしなかった日本人ボクサーも何人かいます。
たとえば、チャコフ・ユーリ(後にユーリ・アルバチャコフ)と辰吉丈一郎です。ともに、強かったので日本人が対戦を嫌がったのでした。辰吉の場合は、デビュー戦に日本ランカーにオファーを出したが、すべて断られ、韓国ランカーと試合をしたと聞いてます。そして、4戦目で当時日本チャンピオンの岡部と初めて試合をしたのだが、日本チャンピオンを子ども扱いしての4ラウンドKO勝ち。その後は、目の怪我でブランクがあったり、家族ができて練習をしなくなり、また陣営がおかしくなったこともあり、薬師寺に負けてしまいました。28戦の中で日本人との対戦がこの2つだったのですね。戦績は20勝7敗1分とパッとしませんが、弱い日本人やロートル相手に戦績を作った山中よりは立派な戦績でしょう。
そして、ユーリの場合もやはり日本人が嫌がったようでずっと対戦相手は外国人。そして、当時日本チャンピオンだった渡久地との対戦が決まるも、渡久地がジムともめ失踪(本当のことはわかりません。ユーリが怖かったという説もあり)し、空位のタイトル戦も多くの日本人が嫌がる中、水野が名乗り出るも、簡単に1ラウンドKO。その後日本チャンピオンとしてタイトル戦をしなくちゃならないが、相手がいず狭間というボクサーが挑戦したが4ラウンドKOし、その後返上。その後、小林をKOし、失踪した渡久地と試合をすることとなったが、大人と子供の差でサンドバッグのように滅多打ちし、渡久地はあわれに何回も倒され、危なげなくKO。ユーリは、24戦中日本人相手が4回だけ。
辰吉もユーリも、日本人とばかり試合をしていたらとんでもない戦績になっていたでしょう。
たとえば、チャコフ・ユーリ(後にユーリ・アルバチャコフ)と辰吉丈一郎です。ともに、強かったので日本人が対戦を嫌がったのでした。辰吉の場合は、デビュー戦に日本ランカーにオファーを出したが、すべて断られ、韓国ランカーと試合をしたと聞いてます。そして、4戦目で当時日本チャンピオンの岡部と初めて試合をしたのだが、日本チャンピオンを子ども扱いしての4ラウンドKO勝ち。その後は、目の怪我でブランクがあったり、家族ができて練習をしなくなり、また陣営がおかしくなったこともあり、薬師寺に負けてしまいました。28戦の中で日本人との対戦がこの2つだったのですね。戦績は20勝7敗1分とパッとしませんが、弱い日本人やロートル相手に戦績を作った山中よりは立派な戦績でしょう。
そして、ユーリの場合もやはり日本人が嫌がったようでずっと対戦相手は外国人。そして、当時日本チャンピオンだった渡久地との対戦が決まるも、渡久地がジムともめ失踪(本当のことはわかりません。ユーリが怖かったという説もあり)し、空位のタイトル戦も多くの日本人が嫌がる中、水野が名乗り出るも、簡単に1ラウンドKO。その後日本チャンピオンとしてタイトル戦をしなくちゃならないが、相手がいず狭間というボクサーが挑戦したが4ラウンドKOし、その後返上。その後、小林をKOし、失踪した渡久地と試合をすることとなったが、大人と子供の差でサンドバッグのように滅多打ちし、渡久地はあわれに何回も倒され、危なげなくKO。ユーリは、24戦中日本人相手が4回だけ。
辰吉もユーリも、日本人とばかり試合をしていたらとんでもない戦績になっていたでしょう。