世界のボクシングと日本のボクシング

世界のボクシングと日本のボクシングとは、メジャーリーグと日本の野球以上に差がある・・・

2020年08月

5人の日本人キラー

軽量級で世界チャンピオンで、多数防衛しているボクサーは、日本人ボクサー相手に防衛を重ねるボクサーは多いです。

ポンサクレック・ウォンジョンカムは17度の防衛のうち、浅井、内藤、本田、中沼、小松、清水、升田、亀田兄、粉川を相手に1防衛してます。(日本人には11勝1敗2分)

15度防衛した張正九は、渡嘉敷、伊波、倉持、大橋(2回)を相手に全勝で倉持以外はKO、またはTKO勝です。

張正九と同時期に長期政権を築いた、柳明佑は喜友名、小見山、大鵬、徳島、井岡、細野相手に6勝1敗。

逆に、ヘナロ・エルナンデスはもっと日本人と対戦したと思ってましたが、竹田と渡辺雄二の2戦だけでした。

葛西を分殺し、渡辺雄二の顎を折ったウィルフレド・バスケスも意外と少なく3勝1分(引分は六車戦)です。

アレクサンデル・ムニョスは初来日時は21戦全KO勝ちというレコードをひっさげて、セレス小林に挑戦しKOしてベルトを奪っていきました。その後も、小島、名城、本田、川嶋、相澤を破ったのですが、亀田兄に負けて日本人相手には7勝1敗でした。



しかし、1番の日本人キラーはルーベン・オリバレスかもしれません。

89勝の中には、牛若丸原田(フィティング原田さんの実弟)、金メダリストの桜井孝雄、金沢和良、歌川善介等日本人から9勝(日本人には9戦全勝8KO)ももぎとっているのです。

 

上の動画は、オリバレス対金沢和良の激闘です。当時のオリバレスは45勝1分の怪物でしたが、金沢さんは死闘を繰り広げました。

私は玉砕は嫌いですが、この試合は勇気のある玉砕・根性をもって勝ちにいった玉砕と感じ、好勝負だと思っております。  

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17歳で世界チャンピオンになった防御の天才

1980年代の中量級は、ボクシング史上1番面白かったと言われております。

その主役は、シュガー・レイ・レナード、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランの4人です。

ロベルト・デュランは、ライト級史上NO1とも言われており、ミドル級まで到達しました。(生涯119戦)

レナードもハーンズもウェルター級からライト・ヘビー級まで行き、ハグラーはミドル級の番人を務めました。

その4人ほど知名度はないのですが、ハグラー以外の3人と絡んだのがウィルフレド・ベニテスです。

ベニテスは、17歳6ヶ月の最年少世界チャンピオンというのは有名なのだが、戦績は53勝8敗1分と負け数は割と多いのです。ただ、負けた相手はレナードやハーンズ(ハーンズからはダウンを奪っての判定負け)等のスーパースター達が含まれ、またキャリア後半はパンチドランカーになった為、神レベルのディフェンスができなくなったからです。



どれぐらいの神技かは、この動画を見てください。特に2ラウンドのラスト30秒。ベニテスのディフェンスはメイウェザー・ジュニアのディフェンスと違って、相手のパンチがあたる距離で目と上体の動きでよけるのが特徴です。



そして、ベニテスはレナードの時もハーンズの時も 試合前のにらみあいが凄かった。

そんなベニテスは、練習嫌いでラテン特有の怠け癖があり、レナード戦も試合前1週間しか練習をしなかったのは有名な話です。

ロベルト・デュランには、石の拳を空転させて判定勝ちをおさめてます。

そんな天才ボクサーが、17歳で世界チャンピオンになり、多くのタニマチが酒と女を提供し、練習をしなくなっていったのです。

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それでも、レナード戦までは勝ち続け、レナード戦では15ラウンド戦ったのです。

もし、ベニテスがきちんと練習してレナード戦に臨んでいたら、レナードの人生とベニテスの人生は変わっていたかもしれません・・・




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