1970年代後半のバンタム級とスーパーバンタム級には3人のKOキングがいました。カルロス・サラテ、アルフォンソ・サモラ、ウィルフレド・ゴメスです。
サラテとサモラはメキシカンなのです。メキシカン同士、チャンピオン同士、凄いレコード同士がぶつかり、サラテが勝ったのです。そのサラテを迎え撃ったゴメスは、プエルトリカンです。
サラテが55戦全勝53KO、ゴメスが25戦全勝全KO、2人はプエルトリコでぶつかりました。
サラテvsサモラ、サラテvsゴメス収録↓
このように、メキシカン対プエルトリカンという対決はいつも盛り上がり、打ち合い・プライドのぶつかいが必至なのです。
カルロス・パロミノ対ウィルフレド・ベニテス、チャベス対カマチョ、チャベス対エドウィン・ロサリオ、アントニオ・マルガリート対ミゲール・コット等枚挙にいとまがありません。
しかし、その中でベストファイトはと聞かれれば、サルバドール・サンチェス対ウィルフレド・ゴメスと答えるしかないでしょう。
前出した、サラテ対ゴメスの全勝対決ですがプエルトリカンのゴメスがKOしました。
勝ったゴメスは上の階級に上がり、それを迎え撃ったのはメキシカンのサルバドール・サンチェスだったのです。そうなると、会場は当然ラスベガスです。
試合開始後、ゴメスはいきなりダウンをくらい驚いた表情を見ませました。ゴメスは今まで相手が倒れるのは普通で、自身が倒れる姿など微塵も考えたことがなかったのでしょう。それでも、ゴメスはさるもので態勢を整えて反撃に出ます。
試合は8ラウンドに突入、ゴメスも反撃するも、サンチェスが怒涛の連打で、最後はロープの外にたたき出し、KOしゴメス神話の崩壊を告げました。
その後、サンチェスはあのアズマー・ネルソンをも激闘の末破ったのですが、愛車のポルシェでの事故で23歳の生涯を閉じてしまったのです。サンチェスの夢、医者になるという夢は叶わなかったのですが、メキシカンの心の中には永遠に刻まれているでしょう。
技なのです。
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